研究内容

 量子情報物理小坂・堀切研究室では、量子情報物理学という新しい学問を生かし、皆さんの大切な情報を守るべく、原子間の光子を介した量子テ レポーテーションにより、安全な量子もつれネットワークの実現を目指した研究をしています。量子情報テクノロジーは、量子通信・量子計算・量子シミュレー タ・量子センサーなど、近未来の情報社会を支える夢の技術として期待されています。
 当研究室では、モノのインターネット(IoT)や人工知能(AI)技術を支える超スマート社会のプラットフォームの構築に向け、光・量子技術による破壊的 イノベーションの創出を目指しています。また、革新的な計測技術、情報・エネルギー伝達技術、微細加工技術など、様々なコンポーネントの高度化によりシス テムの差別化につながる光・量子技術を産学官連携および国際連携により組織的に推進しています。さらに、サイバーセキュリティの強化など、社会の緊急の要 望に迅速に対応するための要素技術を開発しています。
 今年は、長距離量子伝送を担う光子から長時間量子メモリーを担うダイヤモンド中の核スピンへの量子テレポーテーション転写に世界で初めて成功し、1000km級の第三世代量子通信を可能とする量子中継器の実現に一歩迫りました。
( 長距離量子情報通信のための 量子中継技術について - 文部科学省 )

[研究詳細]
*背景
 量子通信は、基本的な物理法則である量子力学の性質を利用し、盗聴者の計算能力や技術レベルに依存しない強固な安全性を保証する暗号通信技術です。量子で できた暗号鍵を配信(QKD)することで、ネット上の個人情報を安心してやり取りできるようになります。既に光子が届く100km程度の距離では東京 QKDネットワークなど実用化へ向けた運用試験が進められているものの、数100km以上の都市間ネットワークを構築する決定的な方法が見つかっていませ んでした。例えば、従来の方法で1000kmの量子通信を行おうとすると、300億年(宇宙年齢の2倍)に1ビットの暗号鍵しか生成できません。この理由 は、光子が光ファイバー中で伝送できる距離がおよそ100kmに制約されているためです。この制約を克服するためには、量子テレポーテーションと呼ぶ原理 で光子が一度では届かない遠方に量子状態を再生する量子中継が不可欠です。量子中継では、一定の間隔で配置した量子ノード間に量子もつれを生成し、量子 ノード内で量子もつれ測定を行います。従来の中継方式では、直接光子が届く区間毎に量子通信を行い、これを接続する中継ノードではいわゆる古典的な中継を 行うものでした。しかしながら、この方式では各区間での絶対安全性は確保できるものの、中継ノードでの絶対安全性を保証することはできないという致命的な 問題がありました。

*考案手法
 我々の考案した手法は、上に述べた従来の古典的な中継手法とは全く異なる完全に量子的な中継方式です。中継ノードは量子メモリーとなるダイヤモンド中の核子を持ち、光子の量子状態は電子を介して核子に量子テレポーテーション転写されます。このような量子テレポーテーション転写を 各区間で行い、古典測定ではなく量子測定を行うことで、盗聴者には絶対に情報漏えいのない量子中継が可能となります。中継のない量子通信を第一世代量子通 信と呼びます。第二世代は200km程度と比較的短距離であるため一回だけの量子中継で十分であり、確率的量子中継という量子メモリーを必要とし ない中継方式で実現できます。これに対し、第三世代と呼ばれる1000km程度と長距離になると、決定論的量子中継という量子メモリーが必要な方式が要求 され、これまでは実現の目途が立っていませんでした。本成果で示した量子テレポーテーション転写では、転写が決定論的に行われることから、この第三世代量 子中継の実現に一歩迫ったと言えます。

 

量子テレポーテーション転写にはあらかじめ原子内に量子もつれを 用意する必要があります。これには物質に内在する量子もつれを利用します。原子を構成する電子と核子のスピンは超微細相互作用という量子もつれを導く力で つながっています。我々はマイクロ波やラジオ波でこの量子もつれを純粋化することから始めました。次にこの量子もつれを種とし、吸収による量子もつれ検出 の応用で光子の量子状態を核子に転写することに成功しました。

 

*動作原理と実験の詳細
・量子テレポーテーションの動作原理(下図)
 あらかじめ量子1と量子2を量子もつれ状態に準備しておきます。本成果ではこれをマイクロ波やラジオ波の照射で実現しています。その後、量子3を量子1 に衝突させます。その際に、量子1と量子3が特定の量子もつれ状態にあることを検出した際に、量子3の量子状態が量子2に転写されます。

・実験の詳細
 実験にはダイヤモンド中の欠陥の一種である窒素空孔欠陥(NV中心)を用いました。その窒素核子はスピンをもち、10秒間以上量子状態を保持でき、第三 世代量子中継に不可欠な量子メモリーとして最適です。量子テレポーテーション転写の量子回路は、①電子と核子の初期化、②電子と核子の量子もつれ生成、③ 光子と電子の量子もつれ検出の3つの回路ブロックに分けることができます。一見不必要に見える電子を介して光子から核子に量子状態を転写することで、従来は確率的であった転写が決定論的となります。これが決定論的中継を必要とする第三世代量子中継の要素技術となります。

*実験データ
 入射する光子の偏光位相を変えることで転写の忠実度を調べたものです。本実験により光子から核子への量子テレポーテーション転写の忠実度が90%以上であることを実証しました。

*量子テレポーテーション中継システム
 量子テレポーテーションによる量子中継システムの動作原理を下図に示します。まずは①ダイヤモンド内で局所的な電子と核子の量子もつれを生成します。次 に②隣接する量子中継ノードのダイヤモンドNVからの発光による電子と光子の量子もつれ生成と③吸収による光子と電子の量子もつれ検出を行うことで、隣接 ノード間に電子と核子の量子もつれを形成します。最後に④ダイヤモンド内で局所的な電子と核子の量子もつれ測定を行うことで送信者側から受信者側に渡る長 距離量子もつれを形成します。

*幾何学的量子ビット
 本研究の基礎となる量子ビットは通常とは異なり、独自に考案した幾何学的量子ビットです。物質中には光子・電子・核子など量子が、相互作用しながら精密に動作する量子ナノシステムが自然に備わります。以下の2点の工夫でこれを制御します。
 ①物質に内在する対称性の破れの利用です。結晶場により分裂した準位(図中の|0>)を量子操作のための補助系とし、状態空間と操作空間を分離す ることで幾何学的量子ビットを構成します。また、光子、電子、核子全てが|0>に落ちた全真空状態を共通の初期状態として利用します。
 ②に物質に内在する量子もつれの力(相互作用と選択則)を引き出すための空間反転対称性の回復です。伝送を担う光子が円偏光(スピン1の縮退した|± 1>二準位)を論理量子基底とするように、処理を担う電子も記憶を担う核子もスピン1の縮退した|±1>二準位を論理量子基底とするべく、磁 場を排除して空間反転対称性を上げます。これにより基底状態のエネルギーによる識別が不可能となり、決定論的な量子テレポーテーション転写が可能となるだ けでなく、幾何学スピンエコーによる完全な時間反転操作が行え、量子メモリー時間を究極まで延ばせます。

*展望とまとめ
 量子テレポーテーションの準備として量子もつれが必要ですが、これにはやはり物質に内在する量子もつれが利用できます。原子を構成する電子と核子のスピ ンは超微細相互作用という量子もつれを導く力でつながっています。この量子もつれを種とし、発光による量子もつれ生成と吸収による量子もつれ検出で量子テ レポーテーションを繰り返すことで、量子もつれの距離を延ばすことができます。これにより、物質本来の量子もつれを起源とした量子通信ネットワークの実現 を目指して今後研究を進めます。
 物質に内在する量子もつれを利用した量子テレポーテーションの原理により、従来の量子中継である確率的な量子中継方式から、決定的な量子中継方式への転 換を可能としました。情報通信は盗聴だけでなく、さまざまなサイバー攻撃の危機にさらされており社会的問題になっていますが、国家的あるいは世界的な規模 の量子通信ネットワークを構築できれば、物理法則によって安全性が保証された安心で健全な情報化社会を継続的に発展させることができます。


Spin state tomography of a single electron spin in a diamond with a single photon for entanglement swapping

Magneto-optical double resonance
of a single NV center in diamond for photon-spin state transfer


キーワード:量子転写、量子テレポーテーション、量子中継、光子、電子スピン
専門分野:量子情報、量子物理、量子物性

実験室風景